okiaruki

沖縄ある記

 

«Facebook
facebook.com/okiaruki

«Youtube
youtube.com/user/okiaruki

«Ustream ustream.tv/channel/okiaruki

 


特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

〒903-0801
那覇市首里末吉町2-141-60

■お問い合せ

info@okiaruki.com

明治村に行ってきた

 Category: Myある記  Comment : 0


愛知県にある「明治村」に初めて行ってきました。
確か明治100年を機に、歴史的建造物の移築・保存を目的に出来た施設ではなかったかと思います(小学生の時にTVで見て、刷り込まれた記憶ですが)。
半世紀を経て訪れる機会に恵まれたかと思うと、感涙ものです。

DSCF0364
全国に残る明治期の建物を集めた空間は、見ごたえ十分。本物の重み・迫力が伝わってきます。
DSCF0342
東京本郷にあり、石川啄木が家族と二階に住んだ家。1階が理髪店。
二階からこちらを見ている、石川啄木らしい等身大の写真パネルが、けっこう不気味ですね(笑)。
DSCF0377
実際に使われていた動力機械の類を集めた建物。富国強兵の掛け声のもと、日本が軽工業から重工業へと推移していく過程が、モノを通して伝わってきます。
実際に動いている機械もあって、興味がつきない展示なんですが、女子には受けないだろうな。

明治村は、沖縄でいえば恩納村の「琉球村」が一番近いでしょうか(規模は違いますが)。歩き回るとかなり疲れますが、頑張れば頑張っただけのお楽しみが待っている感じですね。
集められた本物の建物やモノが素晴らしいのはもちろんですが、何より感心したのは、本物の建物を飲食店や土産品店などに利用するなど、オープンな雰囲気に満ちていたこと。
ディズニーランドより面白かったなあ。
<三嶋>

--------

 

地域交流の試み〜新しい教育施設

 Category: Myある記  Comment : 0


たまたま訪れた愛知県豊田市の施設。詳しくは知りませんが、地域の生涯学習の場と、中学校がドッキングした場所のようで、たいへん面白いと思いました。
前回は名護市営市場の一角に出来たミニ・ギャラリーで、今回は大規模な施設を紹介することになりましたが、ことほど多様な取り組みが試みられるのも、地域のつながりをめぐる課題が切迫しているからでしょう。危機感を持つ人が、増加しているように思いますね(ボクもだけど)。
DSCF0316
この真新しい建物は人の出入りが自由で、解放感にあふれています。
地域住民と中学生が同じエリア・建物を共有しているようで、異なる世代の交流を促進する大胆な試みだと感心しました。

DSCF0320
会議室・図書室・喫茶室などや、生涯学習の教室などがあるスペースと中学校との境。
同じ建物の半分が学校で、壁はないんですね。この日は連休だったので、体育館で運動する中学生しか見かけませんでしたが、普段の棲み分けはうまくいってるんでしょうか。
DSCF0319
自由に入れる休息スペースもありました。
組織体制や運営はよく分かりませんが、移住者の増加が目立つこの地域では、もともとの住民と引っ越してきた若い人たちとが一体とならなければ、未来はないとの判断が行政に働いたのではないかと推察します。

コミュニティーのあり方は、沖縄でもさまざまに論じられていますが、このような施設はあまりないのではないでしょうか。
少子高齢化の進展や災害への備えなどの面からみても、これからの社会は、共生の仕組みを建て直すことが重要でしょう。経済成長に固執するのではなく、誰もが共存できる地域社会を創る事が、生き延びる最善の方法だと感じます。
そんな具体的な方法を模索する時代に、ボクらはいつのまにか突入しているんですね。
<三嶋>

--------

 

神風特別攻撃隊「草薙隊」のこと

 Category: Myある記  Comment : 0



とある事情があり、愛知県豊田市に行ってきました。
名鉄豊田線の浄水駅で降りると、駅前に「神風特別攻撃隊草薙隊之碑」を案内する石柱があり、気になったので捜してみました。
すると、神社のそばに石碑や戦争遺品などがあり、新しいマンションやビルの建設ラッシュのようにみえる一帯が、かつて海軍航空隊の基地で、ここから鹿児島の国分基地を経て、沖縄本島西方の米艦船に突入した部隊(草薙隊)があったことを知りました。驚きました。
石碑によると、昭和20年4月6日から28日にかけて行われた3次にわたる突入で、戦死者56名を出したとあります。
スピードの出ない旧式の99式艦上爆撃機に乗った若者達は、おそらく米軍のレーダー網に補足され、最新の戦闘機や強力な艦船の砲弾を浴び、次々に散っていったはずです。

作家・城山三郎は、『指揮官たちの特攻』の取材で伊平屋島を訪れた際、島に渡るフェリーの上から、特攻で亡くなった数多くの兵士が周辺の海をさまよい、海坊主のような姿で現れる幻影をみたと書いています。
本土各地から集められ、特攻に赴いた若者たちは、はたして沖縄の海にたどり着いたのでしょうか。その目に、沖縄はどう映っていたのでしょうか。そして、その魂は今もさまよっているのでしょうか。
この日は偶然にも、8月15日でした。
(三嶋)

--------